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C 材木座の ” 来迎寺 ” からの続き
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写真は過去の写真と同じく代り映えしないマンネリワンパターン。
01) 「由比若宮(元鶴岡八幡宮)」社頭 _ 鎌倉市材木座(中世の地名:由比郷鶴岡)
コロナウィルス禍が早急に収束しますよう丹祈の心で参拝を目的と
銀杏の黄葉を期待したのだけれども、
台風の影響が少ないされる今年でも 海岸に近いからなのだろうか?
黄葉の始まりと緑のまま縮れて落葉の同時進行の様相だった。
( ’ 丹祈の心 ’ は、境内の解説ボードの文面からパクった。
以後は この馬鹿ブログで ’ 丹祈の心 ’ 使おうゾ。 )
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02-1) 一の鳥居
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02-2) ” 由比若宮 御由緒 ” 解説ボード ( 拡大 )
< 一部を追記した、書き起こし >
由比若宮 御由緒
鶴岡八幡宮境内末社。
前九年の役で奥州を鎮定した源頼義が、康平六(1063)年、奉賽の意を込め、
源氏の守り神である石清水八幡宮を由比郷に潜か(ひそかに)勧請したことに始まる。
鶴岡八幡宮の元となったことから元八幡とも称される。
祭神 応神天皇
祭礼日 四月二日 毎月三日(摂末社月次祭)
由比若宮壮創建以前、鎌倉は郡衛が置かれるなど古代東国の要地で、
源頼義以来、源家相伝の地であった。
源頼義は勅諚(ちょくじょう)により奥州に阿部貞任を征伐した時、
丹祈の心あって潜か(ひそかに)康平六(1063)年秋に石清水八幡宮を勧請し、
瑞籬(みずがき)を営み、
永保元(1081)年には源義家が修復を加えた。
その後 治承四(1180)年十月源頼朝公が鎌倉へ入ると、
この社を遥拝し、神意を伺って、現在の鶴岡八幡宮の場所である小林郷北山に遷した。
社頭には義家旗立松があり、近くには石清水の井がある。
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< なんだかナァ~ 「由比若宮(元鶴岡八幡宮)と「(鶴岡八幡宮)丸山稲荷社」って、
FANUCと富士通対する富士電機みたいになっちゃったよナ。 >
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03) 二の鳥居 と 手水舎
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04-1) 「由比若宮(元鶴岡八幡宮)」 社殿
コロナウィルス禍が早急に収束しますよう祈願いたしました。
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04-2) 社殿
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