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A ” 史跡 勝長寿院跡石碑と供養塔 ” からの続き
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01)浄妙寺境内レストラン ’ 石窯ガーデンテラス ’ 関係者の直行用入り口。
諸説あるが、 石窯ガーデンテラス は廃寺 ’ 延福寺(円福寺とも) ’ 跡の説がある。
通常は閉門。
写真枠外左の直近が、浄明寺「熊野神社」鳥居。
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02) 鎌倉市内の複数箇所に ’ 熊野神社 ’ が鎮座するうちの、
浄明寺「熊野神社」社頭。 鳥居と社号標。 _ 鎌倉市浄明寺3-8-55
鳥居に向かって左は大邸宅民家だが、一帯は廃寺 ’ 大休寺 ’ 跡との説がある。
寺院「浄妙寺」管理下ではないが、古は ’ 大休寺 ’ 支配下だったらしい。
鎌倉市浄明寺地区の鎮守。 建立の詳しいことはわかっていない。
祭神は 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、
天宇順女神(あめのうづめのかみ)。
( cf. 手広「熊野神社」/極楽寺「熊野新宮」/大船「熊野神社」
/十二所「十二所神社」/朝夷奈切通から「熊野神社」/境内社一例:荏柄天神社の末社 )
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03) 鳥居を潜って直ぐ右に、1基だけの燈籠。
左側は宅地造成で撤去されたのであろうが、
移設とか残骸すら見られず 資材とされたのかもしれない。
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04-1) 解説の標札
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04-2) 解説の標札 / 右半分
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ゲストさまはできないかもかもしれない → クリック:上の写真拡大 / 下の写真拡大 )
04-3) 解説の標札 / 左半分
「浄明寺地区の鎮守さま 熊野神社の祭神神楽について
相模風土記稿に熊野神社は村の鎮守なりと記録されてあります。
このお宮は古くから浄明寺地区の氏神様として信仰されてきました。
社伝によれば応永年間(1394〜1427年)及び永正年間(1504〜1520年)に
社殿を再建したと伝えられています。
明治6年(1873年)には国より正式に浄明寺地区の鎮守として公認され
昭和27年には宗教法人として登記され現在にいたりました。
祭神は、天宇頭女神、伊弉諾命、伊弉冊命の三柱です。
七月の祭礼(夏祭り)には神楽が奏されますが
「湯花神楽」「鎌倉神楽」といわれ地元の人々から愛されていました。
然し最近では数年おきにおこなっています。
火の神水の神を招神して感謝し、除災招福を祈り弓矢の威力で悪鬼調伏を行います。
平成八年十月吉日」
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05-1) 寺院「浄妙寺」山門に向かって左方に進む住宅街道路の最奥だが、
住民で どのような方が寛ぐのだろうか?と思いながらも
ほのぼのとするベンチ。
奥: 二基一対の燈籠。 社殿まで5本在るうち、1本目の階段。
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05-2) 一番長い、1本目の階段。
階段沿いには3基( ~ 5基だったか?)の植樹標札で、
写真は ” 奉祝 平成御大典記念植樹 ” と ” 奉祝 令和御大典記念植樹 ”。
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06) 平場では一番長い、’ 鎌倉石 ’ か?に 薄く苔生す参道の敷石。
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07) 2本目の階段( と奥の3本目)
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08) 3本目の階段( と奥の4本目)
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09) 4本目の階段と手水舎
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10) 手水舎。
左と奥は崖で、民家の庭。 直角に右へ折れて、5本目の階段。
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11) 最後、5本目の階段。
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12-1) 社殿
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12-2) 神楽や神事施設と一体の、社殿。
参道にも薄く苔生す敷石。
嘗ては鳥居が建っていたと思しき台座が残る。
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12-3) 社殿の扁額 ” 熊野神社 ”
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13-1) 向かって左手前からの社殿
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13-2) 向かって右方向の境内
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13-3) 向かって右方向の、境内上方。
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14-1) 向かって右手前からの、社殿と境内。
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14-2) 向かって左の、境内上方。
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15) 社殿前から、階段方向を振り返る。
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