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” 周辺住民による丹精の賜物、道路沿いの紫陽花2020 ” からの続き
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< クリックしてからリンク先で拡大できます > _ 鎌倉市西御門(にしみかど)1丁目10−10
関東の比丘尼トップの 青岳尼(しょうがくに)が還俗して
安房の戦里見義弘の正室となり住職を失い、廃れたからというよりも
廃寺にせざるを得なかった歴史的に重要な経緯がある。
(後年に「高松寺」として再興したが、関東大震災倒壊後に廃寺。
山門は、鎌倉山料亭「檑亭(らい亭)」の門として移設された。)
仏殿を円覚寺塔頭「正続院」へ移築したとされる。
これが現在、円覚寺の国宝「舎利殿」。
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写真左方の坂を十数m登った先が金網に囲まれ施錠されたテニスコートで、
周辺一帯に 嘗ての 尼五山第一位「太平寺」の伽藍が建っていたとされる。
(因みに 石碑背後の階段は、「満光山 来迎寺」参道階段。
撮影立ち位置背後は、西御門「八雲神社」。)
無知な私が解説めいたことを書くよりも
他の多くの方が労作をWebサイトで公開してくださっているので、
そちらを参照願いたし。
概略;
・1282年頃開山 → 1556年頃廃寺。劇的な事情で廃寺 →
→江戸時代1643年頃 ’ 高松寺(尼寺) ’ として開山→
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01-1) ” 太平寺跡 ” 石碑(上/3)
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01-2) ” 太平寺跡 ” 石碑(中/3) < 拡大 → クリック >
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01-3) ” 太平寺跡 ” 石碑(下/3) < 拡大 → クリック >
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02-1) 鎌倉尼五山第一位 太平寺大伽藍跡の一部とされる、
現 ’ 西御門テニスコート ’(左/3)
立ち位置前全面を阻む大門扉の柵状空間から撮った。
テニスコートを囲む三方の山が、数階の雛壇状になっている ’ そうだ ’。
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02-2) 太平寺大伽藍跡の一部とされる、現 ’ 西御門テニスコート ’(中/3)
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02-3) 太平寺大伽藍跡の一部とされる、現 ’ 西御門テニスコート ’(右/3)
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西御門 ” 八雲神社 ” へ続く
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