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” 鎌倉「諏訪神社」鎌倉市御成町 ” からの続き
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00) 路傍の祠、馬頭観世音碑、大師道標
_ 鎌倉市材木座2-5 写真左側の ’ 水道路沿い ’ で、奥方向が「長勝寺」。
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01-1) 調べようにも由緒どころか名前の手がかりすら掴めない、
(名前が判明するまでの仮称)稲荷大明神の鳥居と祠。
写真左上カドの一部が損壊しているのは仕方ないにしても、
塗装とかの表面処理無しの鳥居なのに苔など付いておらず
木肌の色を維持してスベスベしている。
近隣の どなた様かが、
タワシで磨くなどの ご奉仕なさっているのかもしれない。
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01-2) 外観から単体の祠と思っていたが、
ソレは被い殿で 中に御神体か御札か が納まる本殿があった。
あっ 鈴も有る!
狐も控えているし 香炉も供物台も有って、埃も砂も溜まっていない。
頻繁に通る両側の道だけど、
鳥居背後の建物との1mほどの隙間から参拝する人も
掃除とかのご奉仕なさる方を見かけたことはない。
cf.1 近隣住民に愛され 管理・修繕維持されてきたのだろうナと知らしめてくれる、
ほのぼのとしたGIF付きWebページ。 https://www.coco-h.com/map/detail.php?235&2
COCO-HOUSEさま の不動産業活動HPからURLを引用させていただきました。
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02-1) ’ 馬頭観世音 ’ 碑
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02-2) 鈴を掛けられた ’ 馬頭観世音 ’ 碑
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03) ’ 大師堂 雲照弘徳會 ’ の道標
参照Webページによると、中世ではなくて近代以降らしい。
cf.2 もちださんの鎌倉リポート No.165(2015年10月9日)
に この場所の記事が載っています。 https://kamakuratoday.com/suki/mochida/165.html
鎌倉TODAYさまWebページ からURLを引用させていただきました。
https://kamakuratoday.com/index.html
cf.3 右側の路地を進んで直ぐに右折した路地沿いに行くと
→「妙徳稲荷大明神」(道路を挟んで同じく ’ 大師堂 雲照弘徳會 ’ の道標が在る)→
→( ’ 弁谷 ’ 入り口前通過)→「千手院」マニアックに墓地沿い極狭路地
→「光明寺」総門前 へ出られる クルマの往来を避けながら頻繁に通る路地。
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このページでは番外編みたいなことだけど、右側の路地を進んで直ぐの場所。
04-1) ’ 能蔵寺側溝新設工事 寄付者 ’ の碑。
能蔵寺は源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建てた真言宗の寺だったが、
音阿上人によって時宗に改宗された現在の「来迎寺」前身。
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04-2) ’ 能蔵寺側溝新設工事 寄付者 ’ の碑。
金額が ’ 圓 ’ 表示なので古くとも明治時代で 新しくとも昭和時代なのに、
なぜ ’ 能蔵寺 ’ としているのか?・・・
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04-3) ・・・例えば「浄妙寺」の住所が 鎌倉市浄明寺 のように、
当地周辺の地名が能蔵寺だったそうだが ’ ※乱橋材木座 ’ 以前で
いつの時代までなのか? _ ’ 能蔵寺側溝新設工事 寄付者 ’ の碑
(※ 大町と橋材木座 の番地が整理されての 字<あざ>が材木座になった)
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